2019年10月04日

我は心を耕すものなり

 ある日お釈迦様とお弟子さんが托鉢(たくはつ)の途中、畑仕事をする村人が「わたしは大地を耕して作物を作っているが、あなたは何か作っているのか?」と尋ねてきました。
 お釈迦様はその村人に「我は心を耕す者なり。私達もあなたと同じ事をしているのだが、相手にしているのは人の心である」と答えられました。
 お釈迦様は人の心を耕すということは、信仰を種とし、その種を育てる智慧を持ち、日々の修行に精進することであり、それがあらゆる苦難を除いて安穏なる実りをもたらすことになると説いています。
 作物を育てるには、硬い大地を一生懸命耕して土を柔らかくし、水と栄養分を欠かすことなく与えて、たゆまぬ努力を重ねることで、初めて実りの時を迎えることができるのです。
 それと同じように、私達の心も柔軟な心にしていかなくてはいけません。
 ガチガチの心では信仰の種は芽を出すことはできません。
仏様の教えは皆さんの心の大地に降りそそぐ太陽の光であり、水や栄養分なのです。
 法華経には、質直意柔軟 一心欲見仏 と書いてあるように、素直で柔軟な心でいれば、仏様の徳を全身であびることになるのです。
 さらにその徳は自分だけがいただくのではなく、ご先祖様にも同じように届くのです。
 いつも自分の心を見つめ直して耕し肥やし、実りある豊かな心で生活できるように努力してまいりましょう。
posted by 玉泉寺 at 17:44| 日記

2019年10月03日

食事は修行のひとつです  五観の偈文

1「功の多少を計り彼の来処を計る。」
この一椀の食物は、たとえ一粒のお米、一茎の菜といえども、それが耕作され、種蒔かれて・・と限りない人々の手を経て、いま自分に与えられていることを思い、感謝していただきましょう。
2「己が徳行の全闕(ぜんけつ)を忖(はか)って供(く)に応ず。」
こうして無限のめぐみによる食物をいただくについては、常に反省を忘れず、その恵みに値するよう、自己の向上を目指しましょう。
3「心を防ぎ過貧等(とがとんとう)を離るヽを宗とす。」
美食に向かえば貪りの心をおこし、粗末な食膳には怒りと不満をいい、毎日同じ食事にあえば愚痴をこぼす私達の心のゆくえを熟視し、これらの三毒の迷いを改めましょう。
4「正に良薬を事とするは形枯(ぎょうこ)を療ぜんが為なり。」
日々の食物は、この生命を支えるためにあり、美味・不味・好き嫌いの心を離れていただきましょう。
5「道業を成(じょう)せんが為めに当(まさ)に此の食(じき)を受くべし。」
食物をいただいてこの身心を支えると共に、一切の生命に感謝し、この日々を、自他の向上としあわせを目指し、毎日を大切に生きていきましょう。
この5つの偈文は、食事をする前に必ず唱えるお経です。つまり、人々が食前にいただきます。食後に御馳走様でしたという言葉と同じです。
 僧侶たる人は、食べる、寝る、日々の暮らしそのものが修行なのです。常に感謝し、法を説き、人々のために生きることが宿命です。これが俗化するからややこしくなるのです。


posted by 玉泉寺 at 17:18| 日記

2019年10月02日

不思議な観音様の御利益

このお経には、観音さまのご功徳を信じて、そのお名前を一心に唱えれば、すべての災いが除かれ、願いが叶うと説かれています。
「音」は「聞く」ものであって「観る」ものではありません。
これは、「音」よりも「光」のスピードが早いので、観音さまは私たちの「声なき声」観てくれています。
「助けて〜〜」という音になる前に、誰よりも先に、それを「観て」「感じで」「キャッチして」すぐにでも救いの手を差し伸べてくれるから「観音はありがたいのです。
観音経には、「念彼観音力」というフレーズが繰り返し出てきます。
これは、「ねんびーかんのんりき」と読みます。「観音さまの力を念ずれば」ということです。
 その一心な願いと心が、「相互に感応」したとき、絶大なご利益が得られるというわけです。
口に唱えるだけで、心の安らかさがえられます。

posted by 玉泉寺 at 07:59| 日記

2019年10月01日

耐え忍ぶことは最上の苦行あり

 いきることは苦しみに耐えることである。此の世は苦しみばかりです。苦しみからに逃げたいというのは人間なのである。そんなときにほとけのおしえに出逢えたときによかった思えることが、最上ではありませんか、
苦しいから死にたいとなあと思うことは、至極当然でありますが、そこで耐えることは人間としてうれしいことではある。苦しみ乗り越えられた時の境地を味わうことで、嗚呼、生きててよかったと思う。
そう思うといきなければならない。命は大切である。命は、次の代につなげることが幸せな生きかたではないでしょうか。後を頼むという生き方は、どんなにしあわせな生き方ではないでしょうか

耐え忍ぶことは最上の苦行であり、耐えることは 最高の安らぎである
posted by 玉泉寺 at 03:52| 日記

2019年09月30日

悩みは思いだけが多くて、実行に踏み切れないところに起きる

 仕事や人間関係で日々ストレスがいっぱい、鬱々とした気分が続く…ことが悩みとなって、生きる力をなくす。実行できないで、どうすることもできない状態に陥る。
どうすることもできないのが悩みである。
わたしは、お経を読むことである。お経には、不思議な力が宿るともいいまして、心の開放感が得られます。
posted by 玉泉寺 at 08:03| 日記

2019年09月29日

合掌の暮らしの中にある笑顔

 私たちは先祖様のお陰で此の世に存在しています。父母から10代遡ると1,024人の先祖様がおられることになります。おそらく顔も名前を知らないことになります。父や母がいなかったら、わたしは此の世に存在しないでしょう。そんな時、感謝の心が芽生えてくるのではないでしょうか。いわゆる仏様です。仏様に対して拝むことが、感謝の思いを伝えることになります。
人間に生まれてきて、いつ死ぬかわかりません。今の時代、人生100年となっています。100歳までは生きられるのです。ところが、病にもかかれば、100どころか50年生きられたらいいでしょう。もっと若い人が亡くなっているのが現実です。先日、知人に久しぶりに出会って聞いたのですが、心筋梗塞で45歳でなくなった話を聞きました。生きるというのは難しいですね。そんな話を聞くと明日は我が身です。
手を合わすというのは、先祖様に感謝の思いを伝えることだと考えます。そうすることで、寿命がたまえられると経文に説かれています。寿命を延ばすにはどうしたらよいのかは、お経を読むことです。
お経を解説には、僧侶に聞くことです。
合掌すれば笑顔になれると言うことは、人と対立しませんと言うことになります。
posted by 玉泉寺 at 11:09| 日記

2019年09月28日

日常の五心

私たちの暮らしは、当たり前にしています。でも本来、いきていくなかで、一人では生きられないことがいっぱいあります。
私たちの口にはいる食べ物は、多くの人の手で作られたりしているのです。たとえばお肉を食べるとき、牛肉の命をうばい、精肉にして、トラックで運び、お店やさんにならび、調理をされて、最後に口に入って、おいししいといって食べるのです。さまざまな人たち、命をいただいて、生き延びて行くのです。そこに感謝の心が芽生えてくるのです。

そこで毎日の暮らしのなかで、五つの心を大切にしていきていただければ、仏様は見守り、助けてくれることでしょう
一、ハイという素直な心
二、すみませんという反省する心
三、おかげさまという謙虚な心
四、わたしがしますと言う奉仕の心
五,ありがとうという感謝のこころ

以上の五つの心は、生きやすくしてくれるでしょう。
posted by 玉泉寺 at 09:48| 日記