2020年07月12日

三宝を敬う

人は、いつも仏を敬い、他人を大切にすれば、必ず願うごとが成就できる。
此こそ、仏に誓いをたてることである。
自帰依仏 当願衆生 自ずから仏に帰依すれば 当に願いを叶える
体解大道 発菩提心 大いなる仏の道を体得し、悟りの心をおこします
自帰依法 当願衆生 自ら法に帰依すれば、当に願いが叶えられる
深入経蔵 智慧如海 深く教えを学び、海もような智慧がもらえます 
自帰依僧 当願衆生 自ら僧に帰依すれば、当に願いが叶えられる
統利大衆 一切無碍 争いのない御仏の心でもって、とらわれのない自由な境地に至ることができます
この経は、お勤めのするときに、五体投地をして、三度額を地につけて、3回礼拝をします
いわゆる、身も、心も、口も仏に誓いをたてて、お経を読み、教えを理解して、人々の安穏を祈ります。

posted by 玉泉寺 at 19:42| 日記

2020年07月10日

餓鬼にならない知足のすすめ

人は日々、空気や水、日光など、生きる上で必要な環境のほとんどを与えられて生かされている。さらには、多くの生き物を食事として、命を維持し、四季の風光にほっとすることもしばしば。
それなのにそのどれもがあたりまえになってしまい、大いなる恩恵を忘れてしまう。
 仏のおしえでは、「知足」を大切にしています。足ることを知る。もう十分である。だけど、豊かな社会になると、おなかいっぱいになるまで、欲を貪らなければ、満足しない生き方にかわってしまった。
経済活動は、たくさんのものを造り、もうけなければ、会社が成り立たないといった時代になってからは、消費をしないと生きていけないようになりました。自然の恩恵というものがなくなり、山の木がなくなり、水が汚され、人間の暮らしが変わってしまいました。ほんとこれでいいのだろうか。と一抹の不安がよぎる。
地球温暖化というのは、便利さ、豊かさから来たのではないでしょうか。北極の氷が溶け出していることに気がつかなければ、とんでもないことを気づくべきである。
身の丈の暮らしを今考えるべきであり、当たり前から感謝の気持ちにかわらないと、生物が生きられない地球になってしまうことを恐れなければならない。
posted by 玉泉寺 at 08:05| 日記

2020年07月09日

真盛上人の身代わり手白猿

室町時代の明応2年(1493年)大津市坂本で徳政一揆が起こったとき、一揆の首謀者が真盛上人と誤解した比叡山の僧兵が西教寺に攻め入った。
 しかし、境内には人影がなく、ただ鉦の音がだけが本堂から聞こえてきた。それを聞いた僧兵が本堂に駆け込むと、そこには一匹の猿が、真盛上人の身代わりとなって鉦をたたいていたのでした。
日吉三王の使者である猿までが、上人の不断念仏の教えを受けて、念仏を唱えていることに感動した僧兵が西教寺本堂から立ち去ったという語りが現在まで受け継がれています。
そして、来年11月に不断念仏相続の十九萬日大法会が開催されます。
私は、開祖真盛上人の教えを広げていかないと、真盛宗の信徒を増やすことができないと思います
posted by 玉泉寺 at 21:05| 日記

2020年07月07日

多くの人々が喜ぶ布施

法華経の中にある一節
あるとき、お釈迦様が霊鷲山でまさに説法を始めようとしていました。そこへ一人の比丘が説教に預かろうとはせ参じた。自分の座る場所を捜したのですが、立錐の余地がなく、座る場所が見つかりませんでした。
すると、お釈迦様は右手を高く、自分のもとへその比丘を呼び寄せ自分の獅子座を半分譲りました。その獅子座というのは、仏様の座る場所のことです。
 仏様が自ら仏の座を布施したのです。その比丘は間違いなく仏様の場所を見つけ、その仏様と共有したのです。
無財の七施のなかに、床座施という施しがありました。それがこの話のもとです。
「放てば満る」といことです。ものを手放すことができないものです。
また「分ければ増える」ということもあります。一つのものを二つに分ければ二人のひとに与えることができます。
つまり、ものが半減することをなげくより喜ぶ人間がふえることを布施は選びます。
posted by 玉泉寺 at 08:31| 日記

2020年06月27日

本来の人間の姿

人間は裸で生まれてきたのになに不足があるの。
ということを先人が、語られてきました。ほんと物がなかった時代です。今みたいに何でも手に入る時代、不足を言うのが今の人々です。そこには感謝の念がありません。失敗でもしたなら、他人に責任をなすりつけて、愚痴をこぼす。やっかいな社会です。
 しかし、人間いきてゆくには、いろいろな条件が必要です。ある程度命の保護するには、お金が必要です。次に物が必要になってくる。家を造ること、そしてご飯を造るキッチンとか、寒さをしのぐのにコートとか、物の多さはその人間の差によって変わります。意までは物欲が備えなければ、生きていくことができない。つまり裸ではいきていけません。
 先人は、生きる知恵を見いだして、大自然の恵みに感謝して、次の世代につないで来られたのです。
今こそ、周りの人、物に感謝することです。
信仰とは感謝することであると自覚してほしいです
posted by 玉泉寺 at 14:45| 日記

2020年06月24日

人間、福を呼び寄せるにはどうすればいいか

福を呼び寄せるには、法華経の陀羅尼品に書かれています。今私は、毎朝、唱え続けて居ます。意味がわからず、唱えることが大切であるとのべられています。
ガンジス川の砂の数に等しい数に倍して、800万億という果てしない遠いところから、仏様に供養したことで,おまえはどのように考えますか。その福を獲得することが多いでしょう。
世尊よ。もし修行する男女が、このお経に対して、たった一つの4句の詩をよく受け入れることができたとすれば、その功徳はきわめて多くいただけるでしょう。
 そのとき、薬上菩薩は次のように申された。
「世尊よ。わたしは今、このお経を説法する者に陀羅尼を唱えたら、おまえを守護してくれるでしょう。」
陀羅尼というのは、お釈迦さんの弟子たちです。たくさんの仏様を呼んでください。と読みにくいお名前を呼び続けるのです。
 私も毎日読んでいますいますが、なかなかすらすらと読みません。いつも間違ってばかりです。
世尊よ、陀羅尼は神秘的な文句であり、62億のガンジス川の砂の数であり、仏様が無数におられるのです。
もし修行者に危害を加えようとされるのなら、無数の仏たちに危害を加えることになります。
そのときお釈迦さんは、ほめられました。
「よろしい、よろしい、薬王菩薩さま、おまえはこの修行者をあわれみ、おまえを守るために陀羅尼を説いたのです。そして、人々に利益を与えることになるでしょう。
法華経は、読むことで幸せをつかむことができるのです。大いに読みましょう。

posted by 玉泉寺 at 01:52| 日記

2020年06月17日

仏様のご縁

ある日のこと、理容師さんがつぶやきをされました。
「私は、学問がないし、毎日人様の頭を刈るだけ、これじゃ一生仏様のご縁ないかもしれません。」といわれてお釈迦様の弟子のことを思い出しました。
その理容師さんの名前が、ウパーリといって,お釈迦様の弟子になられたのです。
 お釈迦様がお悟りを開かれて、故郷に戻られたときのことです。ウーパリが、お城に呼ばれて、お釈迦様の散髪をすることになりました。毎日、仕事に追われて貧しいウパーりはお釈迦様の説教を聞く機会がありません。しかし、今日はその尊いお姿を間近に拝することができるのです。ウパーリは感動しました。
お釈迦様という人は,噂以上に素晴らしい方だ。そう思ったとき、できることなら一生この人のおそばに仕えたいと思ったそうです。でも立場を考えるととてもそんなことには口に出せません。
 そんなとき彼の心を察したのでしょう。お釈迦様は「ウパーリよ。仏の悟りの世界は、立場の違いなどないのだよ。あるのは修行の違いだけなのだよ」これを聞いたウーパリは驚きました。うぱーりだけではありません。お釈迦様のいとこのアナン、アナリツもこの言葉には感動しました。そしてアナリツは、「世尊よ、願わくば、私たちを弟子にしてください。そしてよろしければ、このうぱーりもお弟子にして頂きたい。」
 私たちが目を覚ます縁を造ってくれたのはこのウパーりです。もしお許しいただけるなら。私たちのはうぱーりを兄弟弟子として敬いたい。この申し出にお釈迦さまは、にっこりとほほえみうなずかれました。
 なぜなら、この願いがお釈迦様の望むところで、故郷に帰られた最大の目的だったのです
仏さまの教えは、立場、職業の差別はない。大切なのはご縁です。ありがたいと思うかどうかです。
私は、折に触れ,ときに触れ、縁ある人と心の対話をするのです。

posted by 玉泉寺 at 08:59| 日記