2021年01月16日

宝の山とお念仏

今、生きている事に感謝です。コロナ渦の中で、いのちの重みを感じる日々です。
61歳にして、今ここにいる。亡くなるとということはどういうことか。
私は、僧侶として、多くの方にこの娑婆世界の引導を渡してきました。亡くなった方は、私の代わりに亡くなっていただいたのだと感謝するしか有りません。そう思うと思うと、生きていることはありがたいです。
私は、常々、私は、亡くなった方のかわりにいきているのだと考えています。いつも人を送るときには、その人の生き方を想像します。夫や妻と結婚されていることや、一生子どもに恵まれなかった事や,家のために生きてこられたこと、仕事を生きがいに位規定こられた方、様々な思いが、亡くなったから伝わってきます。その思いを、なくなられた家族や親戚さんに伝えられるように、文章にして、残してきています。
 生きているということは、当に宝です。死んでしまえば、なにも残らない。生きているからいいんだ。
生きているというのはすばらしい事なんだと言い聞かせながら、他人に説教をしています。ちょっとおこがましい言い方ですみません。
 本堂にお参りに来られる参詣者に語らせて頂いています。
 今の時を乗り越えることができれば、未来がある。今我慢をすれば、また出会えるよ。と語らせていただいています。
自分もいつかは、このよを去らねばなりません。だから今をいきなければ鳴らないのです。
自分の葬式には、多くの方にきてもらいたいです。
お釈迦様でも、多くの弟子たちに囲まれて涅槃の境地に行かれたのです。
posted by 玉泉寺 at 09:44| 日記

2020年12月22日

法華経分別功徳品の解釈

仏の寿命は遠い昔から続いています。いのちは永遠不滅とも説かれています。世尊は、弥勒菩薩に告げられた。阿逸多よ。如来の寿命がはるかに長いと説いたときに六百八十万億那由多のガンジス河の砂の数に等しい数の人々たちがいて、あらゆるものは不生不滅であると真理をえたのである。
 また千倍の数の菩薩たちは、お釈迦様の説いた教えを聞いたことを忘れずに記憶する能力と弁舌の力を見につけた。すると空から、曼荼羅の花が降り注いだ。まるで天上の世界ように、多くの花が咲き誇っている。お釈迦様も座しているところにも花が降り注いでいる。
凡夫の私たちは、生きがいを知ることこそ、大功徳であります。その生きがいは、正しい信仰を持ち、努力する心であるという。これをお釈迦様は、生きる力が無限に沸いてくると説いています。
生きがいとは、ただお金をもうけたり、損したり、恋愛したり、失恋したり、高い地位に登り詰めて、失敗して失うことなど、こうしてむなしい喜びや苦しみを繰り返すそうして一生を過ごす。言いしれぬ空虚感を味わうものです。人生には苦しみや悲しみそして喜びを繰り返す中に、信仰という信念を持つことができれば,仏の境地に一歩一歩上って行くことができます、
posted by 玉泉寺 at 18:28| 日記

2020年11月28日

増上漫について

人間わかったつもりでいることいることを、お釈迦様は戒めている。
安楽の座に着いてしまうと、もう努力を怠るのです。一生懸命、努力して,成り上がろうとする。そうして頂点に立てば、怠けてしまう。
一国のあるじにのし上がってしまうと、その席から転がり落ちないようにしがみつく。自分の言動がさも正しいと思い、つい嘘を平気でついて、自分を守ろうとします。この話し、だれかににてませんか。そんな人たくさんいますよ、
最後に墓穴を掘って撃沈されていまます。ああ、悲しいことですね。
これを増上慢といいいます。お釈迦様が悟った言葉であります、悟りを開いて、もう私は最高の教えに至った。もうなにもしないでいいだろうと勘違いをしてしまう、これはおかしいだろうと戒められたのです。
極楽の世界で、耳だけがあったでした。これをお釈迦様は、耳だけ仏法を聞いているので極楽に行くことができたが、残りの身体は、地獄に落ちたことになる。そして人間の舌だけ極楽にきたのは、口先だけいいことをいったので、あとの身体は地獄に落ちたのです。
いわゆる、身も身体も極楽に行くには、耳、口、こころが備わっていなければ極楽に生けないのです。
増上慢は、おごり、ぶりをなくしなさいという戒めなのです。
posted by 玉泉寺 at 11:28| 日記

2020年11月17日

有頂天という言葉は仏教用語です

有頂天という言葉を、皆様は使いませんか。人は得意になって、慢心になるということです。人は山道を努力しながら、山頂を目指して歩んで行くのです。其れで山頂に到着したら、慢心となり努力しなくなると、その人の人生は下り坂になります。諸行無常です。形有るものは、いつかはなくなるのです。其れを慢心でいると、地獄に落ちるということです。
我が春がくると、喜んでいると、のちの人生、下りさかとなり、大変なるという戒めであります。
posted by 玉泉寺 at 18:33| 日記

2020年11月16日

11月14,15日団体参詣を受け入れる

秋も深まり、周辺の木岐の葉が、色づいて参りました。当山の裏山の紅葉も鮮やかに色づいて、参詣者の目を楽しませてくれています。
14日は、高島観光センターのイベントで、たくさんの参詣者がきてくれました。
地元のかたや、京都、大阪の方がこられました。午前中に、田中城の山城を上ってこられて、そして玉泉寺にお越しになられました。地獄絵図や涅槃図、曼荼羅のお話をして、最後に千手観音を案内しました。
15日は、シルバー人材センターのイベントで、市内各地の観光名所を巡り、最後に当山に参詣にこられました。
お寺にお参りにこらえることは大変いいことです。
参詣する人こがまずで、世の中の悪いものをはき出して、仏の智慧を学び、正しい教えを聞き、生き直してもらえることが、お寺の存在価値があると考えています。これこそが、文化の継承だとおもいます。
先祖供養だけではありません。私たちの暮らしにお寺はこころの支えであります。そんなお寺が、少子高齢化で失われて行く道をたどっています。
お寺に、きてよかったわという思いを持ってもらえるすることが、僧侶としての有るべき姿だと考えています。
これからも、お寺にできる限りいるようにしていますが、法務等で不在の時は、携帯を鳴らしてください。
 携帯090−3708−7206
 
posted by 玉泉寺 at 18:11| 日記