2020年02月01日

独生独死、独去独来

「人間は、生まれてくるのも独り(ひとり)、死ぬのも独り」と言う意味です。
みんな仲良く・共生(共に生きる)・人は一人では生きてはいけない・いのちはつながっている・いのちを大切にして行くこと。
そんなメッセージをよく耳にします。たしかにそうなんだけど、それだけじゃ何かが足りない。
誰とでも仲良くなんかできない。俺は自分の力で生きてきた。こんないのちなんて…。
そういう想いを抱く人もいます。
他者を軽く見て、自分勝手な“自由”を主張して 個を誇る。そんな世の中だから、先のようなメッセージが咲き乱れる。けれどもすぐに色褪せ、枯れてしまう。
ことばが色褪せ、枯れてしまうのは、こころが色褪せ、枯れているからである。
みんなで生きている、ひとりで生きていないのは事実だけど、「みんなで」ということに目が向きすぎている。 「ひとり」が語られるのは、私個人を正当化する場合のみ。個の尊重をいいことに、わがまま放題。
「独生 独死 独去 独来」ということばで言い表されている「独り」って、個々のことでもあり、みんなのことでもある。 独りのことでありながら、みんなのこと。矛盾しているようで、矛盾していない。
「天上天下唯我独尊」ということばもあります。
「天にも地にも、ただ我ひとりにして尊し」とお釈迦さまは言っています。
お釈迦さまが、私のみ尊いと言ったのではありません。
「生きとし生けるものみんなが、誰とも代わることのできない、ただひとつの尊いいのちを生きている」ということです。このことばも、独りのことでありながら、みんなのことです。
このような「独り」の意識こそが、共に生きるということを意識させ、他を求めるこころを生まれて来るのです。
posted by 玉泉寺 at 10:06| 日記