2020年11月28日

増上漫について

人間わかったつもりでいることいることを、お釈迦様は戒めている。
安楽の座に着いてしまうと、もう努力を怠るのです。一生懸命、努力して,成り上がろうとする。そうして頂点に立てば、怠けてしまう。
一国のあるじにのし上がってしまうと、その席から転がり落ちないようにしがみつく。自分の言動がさも正しいと思い、つい嘘を平気でついて、自分を守ろうとします。この話し、だれかににてませんか。そんな人たくさんいますよ、
最後に墓穴を掘って撃沈されていまます。ああ、悲しいことですね。
これを増上慢といいいます。お釈迦様が悟った言葉であります、悟りを開いて、もう私は最高の教えに至った。もうなにもしないでいいだろうと勘違いをしてしまう、これはおかしいだろうと戒められたのです。
極楽の世界で、耳だけがあったでした。これをお釈迦様は、耳だけ仏法を聞いているので極楽に行くことができたが、残りの身体は、地獄に落ちたことになる。そして人間の舌だけ極楽にきたのは、口先だけいいことをいったので、あとの身体は地獄に落ちたのです。
いわゆる、身も身体も極楽に行くには、耳、口、こころが備わっていなければ極楽に生けないのです。
増上慢は、おごり、ぶりをなくしなさいという戒めなのです。
posted by 玉泉寺 at 11:28| 日記

2020年11月17日

有頂天という言葉は仏教用語です

有頂天という言葉を、皆様は使いませんか。人は得意になって、慢心になるということです。人は山道を努力しながら、山頂を目指して歩んで行くのです。其れで山頂に到着したら、慢心となり努力しなくなると、その人の人生は下り坂になります。諸行無常です。形有るものは、いつかはなくなるのです。其れを慢心でいると、地獄に落ちるということです。
我が春がくると、喜んでいると、のちの人生、下りさかとなり、大変なるという戒めであります。
posted by 玉泉寺 at 18:33| 日記

2020年11月16日

11月14,15日団体参詣を受け入れる

秋も深まり、周辺の木岐の葉が、色づいて参りました。当山の裏山の紅葉も鮮やかに色づいて、参詣者の目を楽しませてくれています。
14日は、高島観光センターのイベントで、たくさんの参詣者がきてくれました。
地元のかたや、京都、大阪の方がこられました。午前中に、田中城の山城を上ってこられて、そして玉泉寺にお越しになられました。地獄絵図や涅槃図、曼荼羅のお話をして、最後に千手観音を案内しました。
15日は、シルバー人材センターのイベントで、市内各地の観光名所を巡り、最後に当山に参詣にこられました。
お寺にお参りにこらえることは大変いいことです。
参詣する人こがまずで、世の中の悪いものをはき出して、仏の智慧を学び、正しい教えを聞き、生き直してもらえることが、お寺の存在価値があると考えています。これこそが、文化の継承だとおもいます。
先祖供養だけではありません。私たちの暮らしにお寺はこころの支えであります。そんなお寺が、少子高齢化で失われて行く道をたどっています。
お寺に、きてよかったわという思いを持ってもらえるすることが、僧侶としての有るべき姿だと考えています。
これからも、お寺にできる限りいるようにしていますが、法務等で不在の時は、携帯を鳴らしてください。
 携帯090−3708−7206
 
posted by 玉泉寺 at 18:11| 日記

2020年11月05日

親愛なる僧侶が他界する

先日、11月3日、私の尊敬する僧侶が、この世から去られました。ほんとに悲しいです。私が住職して以来、お手本となり、今日まで宗教活動ができたのは、この方のおかげです。
お通夜、葬儀式にはおまいりさせていただこうと思っていましたら、コロナ渦ということで、縮小されると聞きましたので、ご尊顔を拝するために出向かせていただきました。ほんと、生前中のお顔と変わらず。やすらかにお眠りあそばされていました。
いまや、コロナ渦で,家族葬が増えていますが、近親者のみでされていることに寂しさを覚えます。
人が亡くなるということは、悲しいものであり、その人を偲ぶことは大切なことです。人は、他人に支えられて、または影響を及ぼして、成長している。そうして,その人が偉大になって行かれる。他人をないがしろしては出世はありえない、たとえば、このよに功労されたかたは、必ず、周りの人々からお祝いの言葉がかけられる。そうでなかったら、だからオープンするのは人の道である。葬式で、家族だけで執り行うのはおかしい、必ず、亡くなった人を偲ぶのは当たり前ではないでしょうか。其れが感謝のこころというものである。
今、人やものに感謝するというのは、忘れられている。自分さえよかったらといというのは社会から逸脱している。健全な社会を造ることは、人々のしあわせを築くのであります・
人の訃報を聞いたりしたら、感謝の言葉を家族様にお伝えすれば、家族様も喜ばれるのでないでしょうか。
これが人のみちだとおもいます。
posted by 玉泉寺 at 10:05| 日記