顔というのは正直です。暗い顔をしていれば、心が暗いです。うれしいときは、なんといえないうきうきします。いやな人に出会えば、心は暗く沈みます。ほんと正直です。
かえって、他人の笑顔を見れば、自分の心が晴れます。
人間というのは、浮き沈みが激しく、うれしいことがあれば、顔に表れるのです。
いつも晴れやかな顔でいられること自体ないのです。これが生きることであります。
2020年07月30日
顔が心に表れる 笑顔は心を洗われる
posted by 玉泉寺 at 15:04| 日記
2020年07月25日
千年の王国
千年の王国というのは、物事が10年、100年と継続すること自体、人智を越えた力のなせること、其れが1000年以上連綿として存続しているとすれば、もはや習慣を越えて文化とといわざるをえないでしょう。其れが、お盆ではないでしょうか、江戸時代から続いている言われるお盆は、精霊棚を仏壇の前に作り、おしょらいさんが、帰ってもらえる境界に迎え入れて、そうして、僧侶にお経を唱えてもらい、家族団らんの時間を過ごす。これが人々の平和を作り上げているのだと信じています。
これこそ相手への思いやりに、気づき、自分を大切にすれば、すべてが思い通りになるのです。
一年で一番暑いときに、実戦するのがお盆行事であります。皆様を、やってみませんか。もしわからないことがあれば、お知らせ下さい、お答えします。
これこそ相手への思いやりに、気づき、自分を大切にすれば、すべてが思い通りになるのです。
一年で一番暑いときに、実戦するのがお盆行事であります。皆様を、やってみませんか。もしわからないことがあれば、お知らせ下さい、お答えします。
posted by 玉泉寺 at 10:37| 日記
2020年07月22日
2020年07月12日
三宝を敬う
人は、いつも仏を敬い、他人を大切にすれば、必ず願うごとが成就できる。
此こそ、仏に誓いをたてることである。
自帰依仏 当願衆生 自ずから仏に帰依すれば 当に願いを叶える
体解大道 発菩提心 大いなる仏の道を体得し、悟りの心をおこします
自帰依法 当願衆生 自ら法に帰依すれば、当に願いが叶えられる
深入経蔵 智慧如海 深く教えを学び、海もような智慧がもらえます
自帰依僧 当願衆生 自ら僧に帰依すれば、当に願いが叶えられる
統利大衆 一切無碍 争いのない御仏の心でもって、とらわれのない自由な境地に至ることができます
この経は、お勤めのするときに、五体投地をして、三度額を地につけて、3回礼拝をします
いわゆる、身も、心も、口も仏に誓いをたてて、お経を読み、教えを理解して、人々の安穏を祈ります。
此こそ、仏に誓いをたてることである。
自帰依仏 当願衆生 自ずから仏に帰依すれば 当に願いを叶える
体解大道 発菩提心 大いなる仏の道を体得し、悟りの心をおこします
自帰依法 当願衆生 自ら法に帰依すれば、当に願いが叶えられる
深入経蔵 智慧如海 深く教えを学び、海もような智慧がもらえます
自帰依僧 当願衆生 自ら僧に帰依すれば、当に願いが叶えられる
統利大衆 一切無碍 争いのない御仏の心でもって、とらわれのない自由な境地に至ることができます
この経は、お勤めのするときに、五体投地をして、三度額を地につけて、3回礼拝をします
いわゆる、身も、心も、口も仏に誓いをたてて、お経を読み、教えを理解して、人々の安穏を祈ります。
posted by 玉泉寺 at 19:42| 日記
2020年07月10日
餓鬼にならない知足のすすめ
人は日々、空気や水、日光など、生きる上で必要な環境のほとんどを与えられて生かされている。さらには、多くの生き物を食事として、命を維持し、四季の風光にほっとすることもしばしば。
それなのにそのどれもがあたりまえになってしまい、大いなる恩恵を忘れてしまう。
仏のおしえでは、「知足」を大切にしています。足ることを知る。もう十分である。だけど、豊かな社会になると、おなかいっぱいになるまで、欲を貪らなければ、満足しない生き方にかわってしまった。
経済活動は、たくさんのものを造り、もうけなければ、会社が成り立たないといった時代になってからは、消費をしないと生きていけないようになりました。自然の恩恵というものがなくなり、山の木がなくなり、水が汚され、人間の暮らしが変わってしまいました。ほんとこれでいいのだろうか。と一抹の不安がよぎる。
地球温暖化というのは、便利さ、豊かさから来たのではないでしょうか。北極の氷が溶け出していることに気がつかなければ、とんでもないことを気づくべきである。
身の丈の暮らしを今考えるべきであり、当たり前から感謝の気持ちにかわらないと、生物が生きられない地球になってしまうことを恐れなければならない。
それなのにそのどれもがあたりまえになってしまい、大いなる恩恵を忘れてしまう。
仏のおしえでは、「知足」を大切にしています。足ることを知る。もう十分である。だけど、豊かな社会になると、おなかいっぱいになるまで、欲を貪らなければ、満足しない生き方にかわってしまった。
経済活動は、たくさんのものを造り、もうけなければ、会社が成り立たないといった時代になってからは、消費をしないと生きていけないようになりました。自然の恩恵というものがなくなり、山の木がなくなり、水が汚され、人間の暮らしが変わってしまいました。ほんとこれでいいのだろうか。と一抹の不安がよぎる。
地球温暖化というのは、便利さ、豊かさから来たのではないでしょうか。北極の氷が溶け出していることに気がつかなければ、とんでもないことを気づくべきである。
身の丈の暮らしを今考えるべきであり、当たり前から感謝の気持ちにかわらないと、生物が生きられない地球になってしまうことを恐れなければならない。
posted by 玉泉寺 at 08:05| 日記