2020年06月27日

本来の人間の姿

人間は裸で生まれてきたのになに不足があるの。
ということを先人が、語られてきました。ほんと物がなかった時代です。今みたいに何でも手に入る時代、不足を言うのが今の人々です。そこには感謝の念がありません。失敗でもしたなら、他人に責任をなすりつけて、愚痴をこぼす。やっかいな社会です。
 しかし、人間いきてゆくには、いろいろな条件が必要です。ある程度命の保護するには、お金が必要です。次に物が必要になってくる。家を造ること、そしてご飯を造るキッチンとか、寒さをしのぐのにコートとか、物の多さはその人間の差によって変わります。意までは物欲が備えなければ、生きていくことができない。つまり裸ではいきていけません。
 先人は、生きる知恵を見いだして、大自然の恵みに感謝して、次の世代につないで来られたのです。
今こそ、周りの人、物に感謝することです。
信仰とは感謝することであると自覚してほしいです
posted by 玉泉寺 at 14:45| 日記

2020年06月24日

人間、福を呼び寄せるにはどうすればいいか

福を呼び寄せるには、法華経の陀羅尼品に書かれています。今私は、毎朝、唱え続けて居ます。意味がわからず、唱えることが大切であるとのべられています。
ガンジス川の砂の数に等しい数に倍して、800万億という果てしない遠いところから、仏様に供養したことで,おまえはどのように考えますか。その福を獲得することが多いでしょう。
世尊よ。もし修行する男女が、このお経に対して、たった一つの4句の詩をよく受け入れることができたとすれば、その功徳はきわめて多くいただけるでしょう。
 そのとき、薬上菩薩は次のように申された。
「世尊よ。わたしは今、このお経を説法する者に陀羅尼を唱えたら、おまえを守護してくれるでしょう。」
陀羅尼というのは、お釈迦さんの弟子たちです。たくさんの仏様を呼んでください。と読みにくいお名前を呼び続けるのです。
 私も毎日読んでいますいますが、なかなかすらすらと読みません。いつも間違ってばかりです。
世尊よ、陀羅尼は神秘的な文句であり、62億のガンジス川の砂の数であり、仏様が無数におられるのです。
もし修行者に危害を加えようとされるのなら、無数の仏たちに危害を加えることになります。
そのときお釈迦さんは、ほめられました。
「よろしい、よろしい、薬王菩薩さま、おまえはこの修行者をあわれみ、おまえを守るために陀羅尼を説いたのです。そして、人々に利益を与えることになるでしょう。
法華経は、読むことで幸せをつかむことができるのです。大いに読みましょう。

posted by 玉泉寺 at 01:52| 日記

2020年06月17日

仏様のご縁

ある日のこと、理容師さんがつぶやきをされました。
「私は、学問がないし、毎日人様の頭を刈るだけ、これじゃ一生仏様のご縁ないかもしれません。」といわれてお釈迦様の弟子のことを思い出しました。
その理容師さんの名前が、ウパーリといって,お釈迦様の弟子になられたのです。
 お釈迦様がお悟りを開かれて、故郷に戻られたときのことです。ウーパリが、お城に呼ばれて、お釈迦様の散髪をすることになりました。毎日、仕事に追われて貧しいウパーりはお釈迦様の説教を聞く機会がありません。しかし、今日はその尊いお姿を間近に拝することができるのです。ウパーリは感動しました。
お釈迦様という人は,噂以上に素晴らしい方だ。そう思ったとき、できることなら一生この人のおそばに仕えたいと思ったそうです。でも立場を考えるととてもそんなことには口に出せません。
 そんなとき彼の心を察したのでしょう。お釈迦様は「ウパーリよ。仏の悟りの世界は、立場の違いなどないのだよ。あるのは修行の違いだけなのだよ」これを聞いたウーパリは驚きました。うぱーりだけではありません。お釈迦様のいとこのアナン、アナリツもこの言葉には感動しました。そしてアナリツは、「世尊よ、願わくば、私たちを弟子にしてください。そしてよろしければ、このうぱーりもお弟子にして頂きたい。」
 私たちが目を覚ます縁を造ってくれたのはこのウパーりです。もしお許しいただけるなら。私たちのはうぱーりを兄弟弟子として敬いたい。この申し出にお釈迦さまは、にっこりとほほえみうなずかれました。
 なぜなら、この願いがお釈迦様の望むところで、故郷に帰られた最大の目的だったのです
仏さまの教えは、立場、職業の差別はない。大切なのはご縁です。ありがたいと思うかどうかです。
私は、折に触れ,ときに触れ、縁ある人と心の対話をするのです。

posted by 玉泉寺 at 08:59| 日記

2020年06月16日

法華経の第8巻のなかに記されている小欲知足について

私たちは、たくさんのことを思い苦しんで生きています。そんななか、お釈迦様は、心安らかに暮らせる道を説いています。
この人は、心素直にして,正しき思いをもって福徳の智慧を有しているであろうと予想されています。その苦しみの要因は、三毒に悩まされていることです。三毒とは、貪り、怒り、愚かさである。また嫉妬、我慢、増上慢にも悩まされている。いわゆるおごり、高ぶり、慢心の心です。
 そんな苦しみから解き放たれるには、少欲知足をすることである。
posted by 玉泉寺 at 12:49| 日記

2020年06月12日

鏡に映ったのは

ある貧しい人がいました。借金が貯まりすぎて、「取り立てはいやだ。」と家を飛び出しました。だいぶ遠くまできたときに宝箱を見つけました。
「やった。これで借金が返せるぞ」
と宝箱のふたを開けると、すると一番上にあったのが鏡でした。そこに写った自分の顔を見て宝の番人と勘違い、宝箱と思っていました。中にあなたがいるとは知らなかった。怒らないでください。
鏡に謝って逃げ出しました.
私たちには、たくさんの煩悩(良くない心)のために苦しんでいます。苦から抜け出すために修行をして良いことを積み重ねます。これが宝箱に出会ったようなものです。

自分というのは仮の姿です。いわゆる無我の境地です。ところが、自分の身体に執着してしまうとあるはずのない我が実在すると錯覚し、その見方が正しいと思い込み、苦しみは始まるのです。
あるはずのないものに執着するようでは、積み重ねてみた修行が台無しになります。
鏡に写った自分の姿を見て、いるはずのいない番人がいると間違えて、宝を放り出すことになるのです。
欲を思わないで、今ここに生きていることを喜ぶができたらそれでいいのではないでしょうか。


posted by 玉泉寺 at 08:54| 日記