2020年05月22日

華菓同時(けかどうじ)

華菓同時という言葉は、法華経ののなかにのべられています。これは、白蓮華のように花が咲いたときには、すでに果実をつけているという意味です。
 蓮の花を開くとき、すでに、中央にははちすという種子を宿しています。
人は縁あって、仏様に信心の心を起こせば、仏の種が譲り与えられるというたとえであります。
現在、コロナウイルスという疫病が蔓延している。そういうときにお寺をお参りして、自分を見直すことができれば、仏様の種子を頂いて、命に感謝する。
蓮(ハス)を育てて、慈しみの心を育てることが、信仰の心を育てます。
是非、当山にお参りください。
posted by 玉泉寺 at 02:28| 日記

2020年05月09日

佛法は遙かにあらず

仏法とは、人間が生きていくための教えのです。人は、自分が,自分が心で生きていくと他人と争いを招き、不幸を招いてしまいます。自己中心の生き方をするから、うまくいかないのです。少し物事を大局的に考えると、答えがみえてきます。どんな困難の道でも、努力と忍耐で歩んで行けば、答えが得られます。泥臭く、汗をかいて行けば、そこには答えが得られる。それが修行である。
現在、朝、読経して、本堂の掃除、境内の掃除、境内にある草花をお供えする毎日をしています。寺の藪にはいって、タケノコを採れば、縁者に届けに行く。そこで、貴重な出会いがある。その人の喜びを顔に拝すれば、満足感が得られます。
そこに、仏様のおしえが接することができる。これが、わたしの生き様であります。

佛法はるかにあらず
心中にてすなわち近し
真如外にあらず
身を棄てて
いずくんか求めん
posted by 玉泉寺 at 13:54| 日記

2020年05月05日

非常事態宣言の延長される

非常事態が延長されると、私たちの暮らしはどうなるのでしょうか。経済活動が再開されないと、生きていくこと事態困難になります。
私は、僧侶です、お布施で生かして頂いています。他の収入がありません。どうしたものか悩んでいます。
今私のできることは、人々が幸せに暮らせるように祈り続けることです。そして、私自身感染しないようにすることです。他のお寺さんは、拝観停止をして、感染拡大の予防策を打ち出していますが。毎朝、仏さまに祈り続けることだと考えて、読経をし続けています。住職して20年になりますが、病気一つもかかってことがありません。お腹からを声をだすことはいいことです。
ようやくワクチン開発も目途がついてきました。あと少しです。皆さん申し少し頑張って下さい。
坂村真民の詩を見つけました。

少食であれ!
これは健康のもと。

少欲であれ!
これは幸福のもと。

この二つのものを
しっかりと身につけよう。

この世を悔いなく終わるため。
この世を楽しく生きるため。
未来に向かって、祈り続けていきたいです。」
posted by 玉泉寺 at 16:20| 日記

2020年05月01日

心清らかに生きるには

朝起きて、先ず,手を洗い、口をすすぎ、心を戒め,慎みて、仏前にいたり、この内に真身の本尊ましますと思い、扉を開くべし。もし心この本尊は木にて造りたるものなりと計り思いて、敬う心なく、粗慢なるときは、定めて、罪を得べし。
 次に華を備え、灯明を献じ、香を薫じ、あるいは時節の果物、花を供えには、能く洗い清め、如法にして献ずべし。すべて花、並びに菓子をなどを盛りて供養するに、人のみる方計り飾りて、仏の方を粗略にするはよろしからず、少しのものをも実意に供養したてまつるときは、本尊納受したまうがゆえに、広大の功徳を得るなり。
もし至誠心なく、名聞の心をさしはしみ、粗慢にして供ずるときは、たとひ種々の珍物を供えるも利益少なし、唯貪りの心起こさず、力及ぶほど好きな品を調えて供養すべし。その勤め式の意味はその人の意楽にまかすべし。
天台真盛宗の朝のお勤めをします。
つまり、身体の汚れをなくし、仏様の御利益に頂れれば、健康で、明るく人のために尽くすことができますように祈るのであります。
 まさに、今の生き方でなのであります。
posted by 玉泉寺 at 18:25| 日記