2020年04月29日

無一物人生

コロナウイルス渦で、人生最大の危機に陥っています。とにかく、どこにもでかけるな。学校はいけないし、仕事に行けば感染して、命の保証がない。買い物にも行けなくなるのもそう遠くないでしょう。つまり無一物になる。
この無一物という言葉は、お釈迦さんのことばである。悟りを意味するものである。
 人間は、欲深い生き物です。あれもほしい。これほしいと底なし沼におとされた状態です。今は便利で、なにもかも手に入る。仕事もそこそこあって、収入が得られる。お金が手に入れば、何でも買える。手に入らない物はない。一番ありがたいのは、車です。公共交通機関を使わなくてもどこへでも行ける。
 車ほど便利な乗り物はない。もし、車を所有していいなかったら、どんな人生を歩んでいるでしょう。
買い物もできない。灯油も買いに行けない。ガソリンも買えない。当然、車を買っても外出ができない。
人生にとってこれほど悲惨なものはない。これが無一物といいのでしょう。
お釈迦さんは、このことがいいたいのでしょう。
無一物なれども、生きていけるのです。人間社会は、一人では生きていない。誰かれと支え合っているのではないか。そこに会話が生まれ、してほしいことを通じ合える。こういう生き方をするのは仏教ではないか。
小欲知足という言葉は、お釈迦さんの言葉であり、欲がなけれども、足る心があれば、十分に生きていけるのです。
今、不自由な暮らしが、私たちの暮らしに未来を与えてくれるのです。
もっと、考えよ。時代に流れされるのではなく、智慧を出して、そして、寄り添える心を持つべきではないかとおしゃかさんは説いているのです。

posted by 玉泉寺 at 11:03| 日記

2020年04月27日

懺悔するこころ

私たちは、いきるために、貪、慎、痴の三毒に犯され、つい悪心の心が、人を傷つけてしまいます。だから、私たちの世界が、乱れてしまいます。
 幸せなる暮らしをするには、一日一回、懺悔する心を起こせねばならないのである。思い通りにならないのが、この世の定めである。だから、懺悔文を唱えることが必要なのである。これが修行である
posted by 玉泉寺 at 12:37| 日記

2020年04月24日

貧者の一灯

 お釈迦様は食事の供養と共に灯明の供養も大切な供養の一つとされています。灯明とは、全世界を照らして、仏様の偉大な智慧と慈悲の光を表すと伝えられています。
お釈迦様は昔、ある町に訪問されたときに、村人たちが灯明の供養をして迎えることになったそうです。これを知った村はずれの老婆は、なけなしのお金で油をもとめて、自分もこの灯明供養に参加しようと心に決めたそうです。
 油屋に油を買いに行くと。貧しい老婆を見て、「なぜおまえは油など買うのか」それよりもそのお金で食べ物を買った方が良いのではないか」と訪ねると、その老婆は、この村にお釈迦様いらしゃいます。このまたとない機会に、私が仏様を拝み、心からy灯明供養がしたいのです。と答えたそうです。
これを聞いた油は、一合分の代金で5合分の油を売ってあげました。そしてその老婆はその油で灯明供養に参加したのです。
 お釈迦様が来られて灯明供養が行われましたが、夜になると強い風が吹き、灯明が次々と消えていきました。しかし、その老婆の捧げた灯明は消えることなく、燃え続けたということです。
 この貧者の一灯の物語のようにまごころ込めた灯明は家を明るくすると同時に、私たちの明日への活力に対して明るさを与えてくれるもです。
 今は、世の中は、先が見えないほど暗闇です。私たちひとり一人がまごころをもって生きて頂ければ、必ず明るく照らしてくれるでしょう。
posted by 玉泉寺 at 07:51| 日記

2020年04月18日

不動明王の真言の威力

いま、科学では解決できない事が、多くある。信仰の力では、乗り切ろうではありませんか
不動明王秘密陀羅尼経に述べられていますのでその一説を紹介します。

無始よりこのかた、無量の罪、今世を犯す。ところの極重の罪、日々夜夜に作るところの罪、念々歩歩、に起こすところの罪、真言の威力を持って皆消滅す。命終には決定して極楽に生ぜん。師父母を荷負引導して、生死の大苦海を抜せいせん。我に恩ある先亡の者は、有縁知識男女等のために、大いに方便を成し、皆引導して,共に安養上妙の国に生ぜん。乃至四恩諸々の衆生、皆悉く利益して共に成仏せしめん。

私は、不動明王の真言陀羅尼をお唱えして、自分の身体に襲われることなく、早くこの世から退散して頂くことが、修行の道であると信じています。
 なまく ぼさらなん せんだまかろしゃな そわたや うんたらたや かんまんと数百編唱える事です。
posted by 玉泉寺 at 10:24| 日記

2020年04月17日

全国に非常事態宣言が出される

コロナの恐ろしさを目の当たりにみる。これからこの世の中、どうなるのでしょう。人々が無事でいてくれることを私は祈ります。誰一人かけることなく、1年後にあいたいものです。
今は、仏様に祈り続ける事が私の修行です。
毎朝、心経の唱える声が、堂内に響き渡ります。なんとか、この災いを退散するべく、祈りを続けています。
そして、昼間は、元三大師の角大師を、届けに歩いています。
posted by 玉泉寺 at 11:52| 日記