2020年02月14日

人は迷惑をかけて生きている。だから感謝の心を持つ。

人は、依存して生きている。「自分はありのままで愛される価値がある、と信じている」ということだったと言います。これは、人間も含め、生きとし生けるもの皆にとって、自分自身が最も尊い存在だと説いた釈尊の「天上天下唯我独尊」の教えです。
天上天下唯我独尊とは、どのような存在も、この世に生まれた瞬間に、かけがえのない命であるということを認めることだと思います。立場や能力や家柄など、すべて関係なく、尊い命だということを認め合うことだと思うのです。この大前提が抜け落ちてしまうことで、様々な問題が起きてしまうのではないでしょうか。
 子どもの虐待で、食事を与えず、冷水を浴びせるなどして死に至らしめた事象が後を絶たない。恐怖心を想像するだけで、言葉を失います。ニュースでは、そのような命の危険があるにも関わらず、放置する環境に疑問を持つ。
 子どもは親の所有物ではありません。親であれば我が子に対して「このように育ってほしい。」と思うのは当たり前です。しかし、この思いが、いつしか子どもを「自分の思い通りにしたい。」という思いに変化してしまう危険性が誰しもあるのではないかと思います。「こうでなければいけない。」という思いが強ければ強いほど、その危険性は高まります。理想を高く持っている人ほど、失敗を許せないこだわりの心が強くなり、執着心を生み、それが自分を苦しめてしまう原因になることは多いのではないかと思います。
 そうした生きづらさの問題は、こだわりの強さ以外に、もう一つ、自分の弱さを外に出せないことにあると思います。現代は、非常に便利になり、人とかかわらずに暮らしていけるようになりました。インターネットを使えば、一歩も外に出ずに、買い物ができてしまう時代です。この便利さは、煩わしい人間関係を無くしてくれました。お金さえあれば、自分ひとりで生きていけてしまうのです。そのような社会においての「自立」の意味は、「誰にも世話にならずに生きていくこと。」というような意味になっているように感じます。
 此の世に生を受けて、たくさんのひとの迷惑をかけているのだと思っていただきたい。だから人に感謝する気持ちが沸いてくるのでないでしょうか。 
 多くの人の中に、「誰かに助けを求めることは恥ずかしいこと」という潜在意識が存在しているのではないでしょうか。貧しかった時代は、「苦しい時はお互い様」で、皆が互いに支え合いながら生活していたと思います。人と人との繋がりが生きていく力となっていたのです。

現代は、便利さと引き換えに、その繋がりを失い、苦しみや辛さを共有できる存在がおらず、それが社会的孤立を生み、自殺や虐待などの問題の大きな要因になっているように思えてなりません。ある精神科医が、「自立とは依存しないことではなく、依存先を増やしていくことだ。歯を食いしばって、誰にも泣き言を言わずに一人で頑張ることが自立ではない。できるだけサポーターをたくさん作ることこそが本当の自立なんです。そして、最大の自傷行為は何かというと、『助けを求めないこと』なんです。」といっておられます。
 私たち一人一人が、それぞれの弱さを隠すことなく、周りに支えあえる人たちを増やしていく。そうすれば、支える人も支えられる人も、お互いに自分はありのままで愛される価値がある、と信じられ、生き生きと充実した人生につながっていくのではないでしょうか。
posted by 玉泉寺 at 08:53| 日記