2020年01月30日

生きるとは食事をする

私たちは、食事をすることで生きると言うことです。その食事には、たくさんのご恩があります。お米は、農業をするひとがいて、肥料をまき、自然のめぐみである太陽、水がなければ、お米ができないのです。そのおかげで、私たちはお腹いっぱい食べる事ができるのです。
僧侶になるために、厳しい修行をしなければならない。身体をきよめるために水をかぶったり、自然の神様に祈りを捧げるために、夜通し歩いて、社の前で心経を唱えたり、お堂の中では、仏様の真言を何千回ととなえたりします。そして有一楽しみの食事を取ります。食事作法には、五観の偈を唱えます。それが次の通りです。
一、計功多少 量彼来処 : 功の多少を計り、彼の来処を図る
二、忖己コ行 全缺應供 : 己が徳行の全欠を忖って供に応ず
三、防心離過 貪等為宗 : 心を防ぎ過を離るることは貪等を宗とす
四、正事良薬 為療形枯 : 正に良薬を事とすることは形枯を療ぜんが為なり
五、為成道故 今受此食 : 成道の為の故に、今この食を受く

「意味」
一、この食事がどのようにしてできたかを考え、食事が調うまでの多くの人々の働きに感謝します。
二、自分の行いが、この食を頂くに価するものであるかどうか反省します。
三、心を正しく保ち、あやまった行いを避けるために、貪りなど三つの過ちを持たないことを誓います。
四、食とは良薬なのであり、身体を養い、正しい健康を得るために頂きます。
五、今この食事を頂くのは、己の修行を成し遂げるためです。
是れは、食事をするのに、あなたは食事するだけの人ですかと自問自答をしながら、唱え、食するのです。
僧侶は、必要最低限の生活をすることです。贅沢は禁物です。だからこそ人々に法話をして、安らぎを与えるのです。
posted by 玉泉寺 at 19:56| 日記

2020年01月29日

他のためになることは、自分の為に生きることである

人は皆、希望を叶えるために、資格を取得して、出生しようとがんばっています。
常に自分のスキルアップのためや、将来の夢のために、努力をされている。是れの人間の欲望です。
当然、自分のためにするということが前提なのですが、実は他人のためにしていることなのです。
例えば勉強やスポーツ、仕事でも自分のためだけに取り組んでいる場合と、自分以外の身近な人であったり、周りの人ためにと思って取り組む場合と二通りあります。
良く見聞きするのは、スポーツ選手が試合で活躍した時にインタビューで、今まで応援してくれた両親に感謝の言葉を贈るシーンがあります。大切な人のためにという意識が、自分の中のさらなる力を呼び起こし、物事を成し遂げる力となることが多いのかもしれません。
仕事でも、一心に汗水たらして頑張って働く人の姿には、いつも心を打たれます。その仕事が誰かのためになっていたり、地域や社会のためになっていると考える方が、さらにやりがいを感じることができるはずです。どちらも自分のことではありますが、勢いと力強さを感じます。それこそが自分のためだけではなく、その先の他を想う力なのです。
その先を想うことを、少しずつでも大きくしていけば、人に希望を与える存在になっていくことができるかもしれないし、目標を達成することに協力してくれる人に出会うことができるはずです。
一度視野を他に広げてみると、流れが変わっていくことに気づくことができるでしょう。
自分のことだけを考えて行動していると、人に感動や希望を与えることは難しいかもしれません。
大切な人や、大事な場所を守るために皆さんの意識を他に向けて、持てる力を注いでみて下さい。生きる喜びが倍増します。

posted by 玉泉寺 at 01:36| 日記

2020年01月15日

道を求める人は静かに考えて輝く

道といえば、仏道のみちを静かに究めることであります。現代社会は情報が多すぎます。目移りして、迷います。これで仏道をきわめることができないのです。この言葉は、道元禅師が説いたのでありまして、山深い山寺で修行することです。いかに自分というものを見つめて、他利のことを考えるかであります。自分は愚かな生き物で有ることを知り、他人のことを思うかであります。そこに慈悲心が芽生えるのです。自分は他人のために役立つことが、光輝くではでしょうか。
posted by 玉泉寺 at 09:56| 日記

2020年01月14日

すべてのものは縁によって生滅する

 色は匂へど散りぬるを=諸行無常、我世誰ぞ常ならん=是生滅法、有為の奥山今日越えて=生滅滅已、浅き夢見じ酔いもせず=寂滅為楽とお詠いになられました。
 簡単に申し上げますと、世の中のものは常に変化しています。桜の花が綺麗でいつまでも見ていたいと思っていても、やがては散ってしまいます。自分がずっと若くあり続けたい、世界に対してこのままであってほしいと思っても、全ては変化していくのです。
 私達は物への執着、自分への執着そういったものがありますが、この世のものは全て変化していくものだと感じなければなりません。
そうしなければ苦しいままなのです。生まれては滅するといった真理を身に付けることで、死の嘆きや物事に執着して苦しむ事からはなれ、いつも明るい心で、頂いたご縁(いのち)を精一杯生きることができるのです。それが大きな安楽、幸せへとつながっていくのです。そして幸せを後世の人々につながって行けば、わが人生納得した生き方ができるのではないだろうか。
posted by 玉泉寺 at 08:08| 日記

2020年01月07日

阿弥陀様の左手は施無畏印の印を結んでいます

阿弥陀様の左手は、施無畏印を結んでいます。この印は此の世の畏れがない状態にしてくれると言う意味です。
私たちは、常に恐怖を感じながら、生きているのです。たとえば、自然災害です。
東北の震災で、多くの人々がなくなり、町は破壊されました。自然災害は此の世の苦しみで在り、会って欲しくないと願いたいです。だけど科学や技術が進歩しても、災害というのは防ぐことができないのです。
昔から、神仏に畏敬の念を持つことで、少しでも、私たちの住む地域の繁栄と安全を願うのは、いつの時代でもあります。厄除け祈願と病気平癒、家内安全、五穀豊穣、交通安全、子孫繁栄、などなどの祈願を仏様の祈り続けられています。科学では解決できないことを神仏にいのりを捧げることで心の平安を求めています。
当山には、たくさんの仏像や掛け軸があります。是れは、人々の願いから寄進されたものであると確信しています。どうぞ、たくさんの仏様に祈りを捧げにきて下さい。
posted by 玉泉寺 at 09:36| 日記