2019年12月26日

お寺とのご縁を大切にしたい

執着することで視野が狭くなる。その視野を広げるのが信仰の力。私がどうこうするのではなく、お寺に来た人と仏様の縁を結ぶことが役割だ」と言う。とある住職が言われています。私もそう思います。
お寺に来て、ほっとする。仏様の姿を観て感動する。伽藍をみて、感動する。など。人々の思いは様々である。
今、電話で、二人の相談を受けています。その方は、生きるつらさを私に訴えてきています。その訴えを静かに聞くようにしています。そうすると、心穏やかになられて、再び電話をかけてこられています。無事なことがわかり、私も安心しています。
 人々が安心して暮らせるように願うのが、おてらの役割だと思っています。
posted by 玉泉寺 at 11:10| 日記

2019年12月19日

実になる言葉を語りましょう

言葉というのは、人と人とがつながれる手段で有ります。言葉なくして大願成就することがあり得ないものです。
安曇川には中江藤樹先生が暮らされた町です。中江先生は陽明学を起こされました。この学問は、本当の知識は実践を伴うと教えています。
あるとき、村人に無人の酒の販売所を作られて、お酒を飲みたければ、代金を置いてお酒を買って下さいと言う文字を張っておかれたそうです。そうしたら、誰もただではお酒を持って行かれませんでした。必ずお金を置いて持って行かれたと言う話しがあります
つまり、実践を抜きにした言葉は、実が無いということです。
あの人は、私たちのためによいことをしていただいているなと思わすことができれば、必ず信頼していただけるのです陽明学は、江戸時代の中期に起こった学問で、当時の幕府からはきらわれた学問でしたが、中江藤樹先生の人柄が人々に共感を受け、慕われたから、現代に語り継ぐことができたのだと考えます。
だからこそ、言葉が実を結ばなければ、意味がないものと思います。
posted by 玉泉寺 at 08:15| 日記

2019年12月14日

命の尊さ

今ある命はありがたし
人間いつかは死ぬ。だけど今生きていることかけがえのないことです。釈尊も説いています。だけどこんな思いになるのは苦しみにあえいでいる人に感じるものである。失敗して、苦しみのどん底に落とされる。もう私はどうなってもいいんだと感じる時に、命を大切にして欲しい。何度でもやり直せることを考えて欲しい。
そうすれば、生きていてよかったと感じる時が来るはずである。
たった一度の人生、たった一つしかないのです。
仏法は聞きがたしとあるが、生きていれば、それなりに仏法が聞きやすく成り、また別の生き方が見えて来るでしょう。そうしたら、生きていてよかったと言えるようになったら、最高の人生を送ることができるのではないかと考えます。
posted by 玉泉寺 at 13:39| 日記

2019年12月11日

おかげさまでいます

「お元気ですか」「はい、おかげさまで」という挨拶が交わされると共に安堵する気持ちになれます。意味は「あなたのお力添えで」ということも含まれているでしょうが、もっと深い意味が込められているのです。
 つまり、「かげ」とは、神仏やご先祖さまの霊のことを意味しているのです。目には見えないものへの感謝の気持ちが込められる敬虔な祈りからであります.
 日本には神様、仏様がお祀りしています。それによって平穏無事のくらしができているのです。おかげさまは感謝の気持ちを表しているのです。
 父母への感謝、先祖への感謝、友だちの感謝、上司への感謝等、いくつもの感謝で此の世は成り立っている。感謝を忘れると、災いが訪れてくるのではないかと心配します。
posted by 玉泉寺 at 08:20| 日記

2019年12月09日

知識は妄想である

学び、知ることは生きる上で必要なことです。
「あるいは生まれながらにして是れを知り、或いは学んで是れを知り、或いは苦しんで是れを知る。是れを知るに及びは一つなり。」
中国の中庸に書かれています。
人はうまれたら、たとえば、すぐに母の乳首を求め、乳を飲みます。泣いておねだりをします。是れは生まれながらにして知っている事です。成長する間に言葉を学び、してはならないことやしてよいことを学びます。いわゆるしつけを学びます。学びには辛苦しないでは学ぶことはできません。
人は、皆、生涯さまざまなことを学び、自分を作り上げていくのです。知らなければならないことをおろそかにすると、破滅の門をくぐることになります。
 釈尊は学ぶことが少ない人は太った牛のように老いると説いています。
 一生の間に学び、知識としたものは、職業や環境によって異なりますが、得るものが皆同じなのです。
 人の道、生きる道筋を知ることです。どんな職業や環境で生活してきた人々も皆人とのかかわりあいのうえでいきてきたのです。その知識や知恵は人の道、人の道筋が何かを知る事に気づくのです。
学びは、人としての生き方、礼儀作法、ルールをを身につけるものであり、社会のなかで円満に生きて生けるものです。
 知識は妄想であり、いつかは消えて行くが、知恵は知っている事を実行して行くことであります。
posted by 玉泉寺 at 09:21| 日記