2019年11月29日

慈悲喜捨の心

ある時、他課に追われた鳩が、王様のふところに飛び込んできました、憐れみ深い王様は、その鳩を鷹から守ってやろうとと思い、ふところに隠しいれました。
鷹「その鳩を返してください。其れは私の夕食なのです。」
王様「私はすべてのものを憐れみ、かたよった心もなく、慈悲でもって身を修め、布施の行をしている。生あるものが殺されるのをみていることができないし、また殺すこともできない、だからこの鳩をあなたに与えることができない。」ときっぱり断りました。
鷹「わたしも生あるすべてのものの中に入るものではありませんか。慈悲平等の行をしているのでしたら飢えに苦しむ私をも憐んでくれるのが当然でしょう。」と鷹が詰め寄りますと王様はこの道理にうなずかざるを得ませんでした。
王様「鳩の命を救い、高野飢えをも満たしてやらなければならない。どうしたらよいだろう。」と思案されました。では、王様は私の股の肉を切って差し上げよう、
と股の肉を切って鷹に与えますと、
鷹「この肉はわずかしかありません。到底、鳩の肉の量に及びません。」と鷹は王様にくい下がりました。
王様は、秤をもって、鳩の重さに釣り合うように、自分の肉を切り取ってはかりはじめました。ところが鳩の重さは重く、王様の背中の肉切れるところはすべて切ってしまい、筋と骨ばかりになり、力尽きて地に倒れてしまいました。
今、ここで我が身わが身体を惜しんで鷹に与えることを惜しむならば、やがて餓鬼道の苦しみに墜ちねばならない。その苦しみの方がはるかに重く、山のごとくになるであろう。
王様はどうしてこの我が身を鷹に捧げることを惜しめようか。我が身を捨てる思いで、鷹に捧げよう。
 そうしたら、大地が大きく揺り動き、空から美しい花が降りそそがれました。そこに諸天善神があらわれ、王様の布施の功徳を賛嘆され、鷹は帝釈天に、鳩はビシュカツマ天に変じました。帝釈天は、王様に言いました。「この身体のきずは痛みとなって、今あなたを責めているいるに違いない。あなたは後悔していないか。」と問われました。
王様「いえ、少しの悔いも、苦しみ痛む思いはありません。」
帝釈天「私は信じられない。どうして苦痛を感じられないのかその証拠を見せてくれ。」
王様「私の言葉が嘘偽りであるのなら、このきずが治りません。もし私の言葉、心、布施の誓いがまことであるなら、このきずは平癒するに違いない。すると王様のきずがたちまちにきずなき身体に変わったのでした。
この王様は、お釈迦様だったのです。
 我が身、我が物を与えて、少しも欲を求めない人生と我が身、わがものを惜しんで更に欲を貪る人生とは、まったく逆の路線を走ってゆきます。その終着駅は仏様の喜びの境地と餓鬼道の苦しみにと分かれて行きます。だからこそ、あなたはどれだけ人のために自分のことを捨てることができれば、あなたの幸福へと導いてくれることでしょう。

posted by 玉泉寺 at 08:55| 日記

2019年11月23日

少欲知足の教え

与謝蕪村が、追いはぎを弟子に剃りにけり秋の旅と唄った
坊さんが、一人山道を歩いていたら、追いはぎに出会った。「命惜しければ、着ているもの持っているものすべて身ぐるみ置いていけ」と言われ、坊さんは、「はいはい、、こんなものでよければ」と身包み物を男に差し出した。
追いはぎは、うまくいったと山道を急いだが、ふと考えた。あの坊さん、あのさっぱり態度はどうしたものだろう。
あのように物事一切に執着せず、生きることができたらなんと素晴らしいことだろう。と考えると、あの坊さん慕わしくなり、急いで道を取って返して坊さんを追いかけた。
 再び、坊さんは驚き、今度は命まで取られるかもおもいながら、どうしたのかと聞いたら、「わしを弟子にしてくれ、つくづく泥棒稼業がいやになった。」
しばらく考えて、「其れはうれしいことです。私もあなたような弟子がほしいとおもっていました。」
其れは、仲秋の秋、庭には萩の花が咲いていたそうです。
人は皆、ものが欲しがる生き物です。其れを貪ると毒に成り、身の破滅を招きます。ほどほどの人生が、心安らかに暮らせるのです。
ありのままに生きることはむずかしいです

posted by 玉泉寺 at 17:19| 日記

2019年11月21日

人間にう生るること 大いなる悦びなり

人は、人間に生まれて悦んでいるのでしょうか。私は不安を感じます。なぜなら、悪い事が続いています。人をぬすんだり、うそをついたり、命をあやめたりして、地獄の世界そのものです。ほんとに人間に生まれて悦んでいるのでしょうか。
 此の世は、六道の世界でさまよいいきているのです。とくに地獄、餓鬼、畜生の三つの世界を三悪道と言います。この世界は、悪の行為によって墜ちていくのです。その苦しみは激しく到底、想像を絶するものです。
私たちの命はどこに托生するかであり、身、口、意の業縁によるものです。
身 命を殺さない、物を盗まない、相手を尊重する
口、正直に話す よく考えて話す やさしい言葉を使う 思いやりの言葉で話す
意 惜しみなく施す にこやかに言う 正しい判断をする
これらの行いができたら、人間に生まれて幸せを感じるのです。
だから過去に種まきをすることが大切なことです。 
posted by 玉泉寺 at 08:29| 日記

2019年11月20日

菩薩戒経のこころ

私たちは戒をうけたなら、仏と同等の位がいただけます。要は、正しい安定した生活を送るには戒が基本なのです。戒とは、➊命あるものをむやみに殺さない。➋他人のものを盗まない。他人に喜ばれることを実践する。➌道ならぬ愛欲をおかすことなく、社会の秩序を守る。❹うそをつかない。正しい行いをする。
❺自制心を持ち、よこしまな考えをしない。他人に迷惑をかけない。是れを五戒と言い、最低限守ることが仏の世界にいたると言います。
善いことを進んで行うことで、心の安定を得て、積極的に自分の業務に全身を捧げる。是れを攝善生戒という。
世のため、人の為になることをしようと決心する。是れを攝衆生戒と言います。
この戒律を守ることができれば、世の中、安心して暮らせるのです。ところが、悪い事をする人たちがいます。自分さえよければよいと考える人がいます。このような行いをすれば、地獄に墜ちると言う人が、いないのが残念です。と言うより、僧侶が言わないから、悪い事をする人が後を絶ちません。
僧侶は、きびしい修行をしてきています。其れこそ戒の大切さをみをもって感じているはずです。
善かったら。当山にお越しください。お出会いをお待ちしています。
連絡先 木村 090−3708−7206
posted by 玉泉寺 at 09:22| 日記

2019年11月19日

いきとし生けるものすべてに仏性を持っている法華経より

あるとき、大阪のおばちゃんが、自分に近づいて来る人たちに、あめちゃんを配っている光景を見ました。そのおばちゃんは、老若男女、誰とでもすぐに仲良くなるためのコミュニケーションのお菓子を配ることで、人と人のご縁をつなぐアイテムとも言えるのです。
是れは、法華経の薬草諭品にとかれています。おばちゃんがお釈迦様で、あめが雨で、平等に雨を降らして体の大きさに合わせてその成長をたすけることです。雨をお慈悲の雨として説いているのです。
 お借家様のお慈悲は、身分の上下、心の善悪、修行の有無、優劣を問わず雨が大地のすべてを潤すごとく、差別なく、すべての人に仏性の芽を育てるために雨を降らせ、人々を苦しみから救い出すことであります。お釈迦様は、ひとりひとりにやさしい言葉をかけるように、すべての人に言葉をかけてくださるのです。その才能や受け取る力に応じた言葉、そのなかで、すべての人が等しくさとりをひらけるよう導いているのです。
 つまり、いのちの基本を見つめ直させてくれるのが法華経で有ります。
posted by 玉泉寺 at 08:21| 日記