2018年06月27日

求めるところは少なくあれ

人間には欲という物をいつも持っている。その欲を持ちすぎるが上に、悩み苦しむのである。だけど欲を必要最小限に抑えることが出来れば、心安らかに暮らせる。
 武士道に求道心と言う言葉で、武術を修練する事に使われている。求める心がなければ、上に行けない。だけど、人々の暮らしには、多くを求めると、悩み苦しみ、しんどくなる。余り求めない暮らしがいいのではないでしょうか。吾唯だ足ることを知ると京都竜安寺の石に彫ってある。此こそが悟りの心であるようにおもいます「。
posted by 玉泉寺 at 07:21| 日記

2018年06月20日

自分を見つめ、コを積む

日本人は、古来より祖先を祭ってきました。多くの人々の家には、仏壇や神棚を祭っています。正月には、鏡餅を作り、神棚をお供えして、家の繁栄を願ってきました。仏壇は、4代前の祖先の位牌を置いて、私たちの安全を祈ってきました。手を合わせて、今の自分を見つめるという習慣が今も残っています。これが日本の平和を築いてきたのではないかと考えています。第一、手を合わせるということは、相手に傷を負わせる事ができないのです。両手を合わすことは、相手を思いやるということなのです。腹が立っても、自分の行いが悪いのだから、鉾を納める事ができるのです。最近、よく、きれるという表現はあります。きれるというのは、我慢がならないのです。つい、手が出てしまうことになるのです。
仏壇に手を合わせるというのは、先祖様に感謝して、今のいらだちを抑え、人と仲良く、思いやりの心で接する事を誓うのです。相手と喧嘩しても何もコがないとい事に気づかせていただく。相手の事を思いやれば、それだけ自分にコが身につけられて、出世することが出来るのです。コは自分の能力を高めていくものであると思います。
posted by 玉泉寺 at 07:10| 日記

2018年06月18日

今ここに生きる

人間は、悩みから解放されないで生きています。これが真実です。とお釈迦様は説いているのです。その悩みというのはどこから来るのか、欲望ではありませんか。欲望といのは、厄介なものです。欲望を満たしても、満たしても次から、次から泉のごとくわき上がってくるのです。それが悩みに変わるのです。欲望を満たそうと思えば、うそをついたり、だましたりして悪い道に行ってしまって、どつぼをふんでしまうのです。そのことを気づかれたのはお釈迦様なのです。瞑想して、悟られたのです。正しい道、正しい思い、正しい行い、正しく努力する、正しく見る、正しい言葉、正しく定める、正しい命の八正道を説いたのです。此を実践するには、相当の覚悟がいるのです。人間には、怠け心があったり、おごったりして、悩みに苦しむのです。
 だから、誰しも悩みから、解放されたいのです。それには、瞑想や座禅で、今の自分を見つめ直し、本当の心をおこす事ではないでしょうか。お寺は、その悩みから解放される道場だと思います。
一度、来ておしゃべりに来てください。
posted by 玉泉寺 at 07:21| 日記

2018年06月11日

事を先にして得ることを後にする

なすべき事を先にして、利得を後回しにする。これがコを高めることであります。人間はいかにコを高めるかで人に上に立つことが出来ると中国の孔子が説いています。凡人にはなかなか出来ないことである。人間は、おぎゃと生まれたときから、自分が中心にならないと気が済まないものです。子どもが、ほしいものが目に入るとだだをこねます。それが親がなだめて言い聞かすと、我慢をするようになる。ところが甘やかすと、子どもの時から、我慢が出来なくなる。それではコのある人間に成長しないのである。
 コを持つには、先ず私利私欲を捨てることは必要になってくるのです。
 最澄は、忘己利他と言う言葉を作りました。己の事を忘れて、他人のためにすることが、善きリーダーとして、幸せな社会が形成される。それは、善い人材を育てることを重きを置いて、佛教を伝来されたのです。
お陰で、たくさんの祖師を輩出されたのです。そして今の日本の姿ができました。これからも、未来が輝かれる為に、コをある人材を育てることではないかと思います。
posted by 玉泉寺 at 04:42| 日記

2018年06月10日

遊びは生きる力になる

生きると言うのは、どういうことでしょう。今から2千年前、縄文時代、弥生時代そして奈良時代や平安時代を思い浮かべてください。農耕社会、狩猟社会では、自然の中で、鳥、魚、肉を取って生きました。それはむしろ、自然に溶け込み、自然と遊びながら、生きる力を蓄え、人々の暮らしがあったように創造します。現代社会では、どうでしょう。その自然と遊ぶことが少なくなっています。鳥を捕るとか、魚を捕まえるとかなどの行為が一部の人々の暮らしになっています。大方の方は、会社員という仕事につき、給料を稼ぎ、家族の暮らしを守ることに変わってきました。自然とともに暮らすことなど少なくなってきています。ゆとりがなく、なかなか自然に溶け込んで、遊ぶ姿が見受けられなくなってきました。人は打たれ弱いとか、多くの悩みに苦しんでいる人々が増えています。
 人間このよに生まれたなら、自然の中でたくましく生きたいという願望を持っています。それが遊びから学ぶことではないかと思います。遊びは、生きる智慧を引き出します。其の智慧で生き抜いて生けると思います。
posted by 玉泉寺 at 08:05| 日記