2018年05月30日

近江八幡の本堂改築法要の様子

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posted by 玉泉寺 at 16:54| 日記

近江八幡のお寺で、本堂改築の落慶法要に招待されました

五月20日日曜日、からったと晴れ渡る夏空のもと、近江八幡のお寺で、本堂改築落慶法要に行ってきました。
本堂の建て替えとか改築の法要は、珍しく、なかなかないと言った方が、真実です。と言うのも、浄財を出していただける信者さんが少なくなってきているのです。世の中は、幸せで、豊かな暮らしが出来ています。でも、お寺や神社が傷んで来ても、なかなか浄財が集まりにくいです。そんななかで、改築法要が営まれることが、ありがたいことです。お寺や神社がよみがえることは、うれしいことであり、我々日本人の心であると確信しています。日本は、歴史や文化が培われて、後世に受け継がれてきています。このことをもっとう多くの人々に伝えなければ、ふるさとがなくなる不安を感じています。どうか善いものを伝えて、心豊かに過ごしたい物です。
posted by 玉泉寺 at 13:20| 日記

2018年05月28日

幸せをいくら分け与えても減らない

あるお金もちの家族が、何でも手に入れることができる。生きたところには行けるし、欲しいものはすぐに手に入る。この家族に育つ子どもは、ちょっとかわいそうに思う。人生かねがなければなにも出来ないことになる。いずれは借金に追われる日は来るに決まっています。又ブレーキがかからない人間に育ってしまってしまうと不幸でないかと思う。其の反対に、貧しい家に育ち。兄姉で一つのまんじゅうを人数分で分け与えて、其のかけらを喜ぶことでければ、どんなに幸せか。そうすると一つのまんじゅうを兄姉仲良く分けて食べる喜びをアンテナを育ててもらうことができたのは、、貧しい家で大勢の兄姉と共に育ったお陰と幸せを喜び逢えるのです。
 不自由な暮らしこそが、幸せのアンテナを張り巡らし、みんなをえがおにして、相手を思いやり、社会の安穏を築くことが出来るのです。ちょうどよい暮らしをして見ませんか、きっと幸せが満ち充ちてくるのです。
posted by 玉泉寺 at 07:45| 日記

2018年05月24日

境内地の桜の木緑いっぱい

桜の花が散ると、青々と葉に覆われて、支柱たる樹の根が広がり、倒れないように頑張っています。このような光景を見ると、自然の偉大さがわかるような気がします。人間のそのような気がします。
私の人生も樹のようなものです。根をはり、花を咲かせ、果実を収穫する喜びを感じるからこそ、ひととしての喜びを感じるのです。
大地に根をはると言うことは、努力の賜物で有ります。努力せずして、花を咲かせることはないでしょう。オリンピックで金メダルを獲得する人は、苦しい努力をしているのです。
今、境内地には、青々とした草木が一面に広がっています。それは、生きようとする不屈の精神があるからです。其の精神こそが、コを積む事です。コは、種を蒔き、肥料をやり、根を張らせることではないかと思う。そのコと努力のおかげで、一本の樹に花を咲かせ、青々とした緑をもたらします。
posted by 玉泉寺 at 10:04| 日記

2018年05月23日

善いことは自慢しない

この言葉は、論語の中に出てきます。この善いことを佛教では、進んでしなさいと言う。これが国づくりの基本です。反対に悪い事は、国を破壊することになるのです。人のものを盗むとか人を殺すとか、ねたみ、そしり。悪口をいう、だますなどなどの悪い行いは、国を破壊することになるのです。つまり、信用することから、始めなければなりません。信用するとは、正直に素直な行動を起こすことである。うそを突き通す人は、信用なんかされません。
 そう思うと、昔の人は、えらいものです。学説を説き、人々に広めることで、平和で安心出来る社会を作ったのであるから、尊敬されなければなりません。
うそをつくと、其のうそがいつばれるか心配ばかりです。いつ社会から追い出されるか不安で一杯です。善い行動なんか起こせるものではありません。
人は生きて行こうとすれば、人に喜ばれて、さらに謙虚さと思いやりを持てば、必ず、生きる道を与えられるのです。
posted by 玉泉寺 at 10:24| 日記