2020年01月15日

道を求める人は静かに考えて輝く

道といえば、仏道のみちを静かに究めることであります。現代社会は情報が多すぎます。目移りして、迷います。これで仏道をきわめることができないのです。この言葉は、道元禅師が説いたのでありまして、山深い山寺で修行することです。いかに自分というものを見つめて、他利のことを考えるかであります。自分は愚かな生き物で有ることを知り、他人のことを思うかであります。そこに慈悲心が芽生えるのです。自分は他人のために役立つことが、光輝くではでしょうか。
posted by 玉泉寺 at 09:56| 日記

2020年01月14日

すべてのものは縁によって生滅する

 色は匂へど散りぬるを=諸行無常、我世誰ぞ常ならん=是生滅法、有為の奥山今日越えて=生滅滅已、浅き夢見じ酔いもせず=寂滅為楽とお詠いになられました。
 簡単に申し上げますと、世の中のものは常に変化しています。桜の花が綺麗でいつまでも見ていたいと思っていても、やがては散ってしまいます。自分がずっと若くあり続けたい、世界に対してこのままであってほしいと思っても、全ては変化していくのです。
 私達は物への執着、自分への執着そういったものがありますが、この世のものは全て変化していくものだと感じなければなりません。
そうしなければ苦しいままなのです。生まれては滅するといった真理を身に付けることで、死の嘆きや物事に執着して苦しむ事からはなれ、いつも明るい心で、頂いたご縁(いのち)を精一杯生きることができるのです。それが大きな安楽、幸せへとつながっていくのです。そして幸せを後世の人々につながって行けば、わが人生納得した生き方ができるのではないだろうか。
posted by 玉泉寺 at 08:08| 日記

2020年01月07日

阿弥陀様の左手は施無畏印の印を結んでいます

阿弥陀様の左手は、施無畏印を結んでいます。この印は此の世の畏れがない状態にしてくれると言う意味です。
私たちは、常に恐怖を感じながら、生きているのです。たとえば、自然災害です。
東北の震災で、多くの人々がなくなり、町は破壊されました。自然災害は此の世の苦しみで在り、会って欲しくないと願いたいです。だけど科学や技術が進歩しても、災害というのは防ぐことができないのです。
昔から、神仏に畏敬の念を持つことで、少しでも、私たちの住む地域の繁栄と安全を願うのは、いつの時代でもあります。厄除け祈願と病気平癒、家内安全、五穀豊穣、交通安全、子孫繁栄、などなどの祈願を仏様の祈り続けられています。科学では解決できないことを神仏にいのりを捧げることで心の平安を求めています。
当山には、たくさんの仏像や掛け軸があります。是れは、人々の願いから寄進されたものであると確信しています。どうぞ、たくさんの仏様に祈りを捧げにきて下さい。
posted by 玉泉寺 at 09:36| 日記

2019年12月26日

お寺とのご縁を大切にしたい

執着することで視野が狭くなる。その視野を広げるのが信仰の力。私がどうこうするのではなく、お寺に来た人と仏様の縁を結ぶことが役割だ」と言う。とある住職が言われています。私もそう思います。
お寺に来て、ほっとする。仏様の姿を観て感動する。伽藍をみて、感動する。など。人々の思いは様々である。
今、電話で、二人の相談を受けています。その方は、生きるつらさを私に訴えてきています。その訴えを静かに聞くようにしています。そうすると、心穏やかになられて、再び電話をかけてこられています。無事なことがわかり、私も安心しています。
 人々が安心して暮らせるように願うのが、おてらの役割だと思っています。
posted by 玉泉寺 at 11:10| 日記

2019年12月19日

実になる言葉を語りましょう

言葉というのは、人と人とがつながれる手段で有ります。言葉なくして大願成就することがあり得ないものです。
安曇川には中江藤樹先生が暮らされた町です。中江先生は陽明学を起こされました。この学問は、本当の知識は実践を伴うと教えています。
あるとき、村人に無人の酒の販売所を作られて、お酒を飲みたければ、代金を置いてお酒を買って下さいと言う文字を張っておかれたそうです。そうしたら、誰もただではお酒を持って行かれませんでした。必ずお金を置いて持って行かれたと言う話しがあります
つまり、実践を抜きにした言葉は、実が無いということです。
あの人は、私たちのためによいことをしていただいているなと思わすことができれば、必ず信頼していただけるのです陽明学は、江戸時代の中期に起こった学問で、当時の幕府からはきらわれた学問でしたが、中江藤樹先生の人柄が人々に共感を受け、慕われたから、現代に語り継ぐことができたのだと考えます。
だからこそ、言葉が実を結ばなければ、意味がないものと思います。
posted by 玉泉寺 at 08:15| 日記

2019年12月14日

命の尊さ

今ある命はありがたし
人間いつかは死ぬ。だけど今生きていることかけがえのないことです。釈尊も説いています。だけどこんな思いになるのは苦しみにあえいでいる人に感じるものである。失敗して、苦しみのどん底に落とされる。もう私はどうなってもいいんだと感じる時に、命を大切にして欲しい。何度でもやり直せることを考えて欲しい。
そうすれば、生きていてよかったと感じる時が来るはずである。
たった一度の人生、たった一つしかないのです。
仏法は聞きがたしとあるが、生きていれば、それなりに仏法が聞きやすく成り、また別の生き方が見えて来るでしょう。そうしたら、生きていてよかったと言えるようになったら、最高の人生を送ることができるのではないかと考えます。
posted by 玉泉寺 at 13:39| 日記

2019年12月11日

おかげさまでいます

「お元気ですか」「はい、おかげさまで」という挨拶が交わされると共に安堵する気持ちになれます。意味は「あなたのお力添えで」ということも含まれているでしょうが、もっと深い意味が込められているのです。
 つまり、「かげ」とは、神仏やご先祖さまの霊のことを意味しているのです。目には見えないものへの感謝の気持ちが込められる敬虔な祈りからであります.
 日本には神様、仏様がお祀りしています。それによって平穏無事のくらしができているのです。おかげさまは感謝の気持ちを表しているのです。
 父母への感謝、先祖への感謝、友だちの感謝、上司への感謝等、いくつもの感謝で此の世は成り立っている。感謝を忘れると、災いが訪れてくるのではないかと心配します。
posted by 玉泉寺 at 08:20| 日記